世界、日本、東京、瑞穂。



 戦後60年余りが経過しましたが、私たち日本は未だに戦後の作られたシステムからの根本的な変換が成されてないと考えてよいのではないのでしょうか?戦後、鉱物資源もなく、円の通過信用もない中で、今日の経済復興が成されたのは、様々な要因はあるでしようが、特に、国による統制経済政策、米軍の駐留(吉田茂からアメリカに駐留を希望した)による、国家防衛に拘わる軍事予算を経済復興資金にむけられたこと。また、朝鮮動乱による特需が追い風となったことが大きく影響したといえます。また、それを可能にしたのは、戦前からの列強に伍すために力を注いだ教育が復興を支えうる人的資源を多く排出したと考えられます。いわゆる、今日の日本は、まさに偶然と偶然の重なり合わせによって成しえたと考えてよいのです。その証拠に、大戦後または植民地から独立したその殆どの国は、現在でも貧困に喘いでいます。余談ですが、そこそこ復興しているという国の殆どは、かつて日本が統治していた国々なのです。もちろん、日本がかつての統治国に何を要求し求めたのか、是非もあるでしょうが、冷静に判断しなければなりません。

 また一方で、現在多くの分野で、 「負の遺産」 として、厳然と影響力擁有する組織が誕生いたしました。

 労働者の人権問題では、労働者の人権保護目的のために、労働組合が登場いたしました。しかし、時代の経過とともに、能力・資質を持ち得ない、さらに持つ意欲もなく、努力をしない人までも援護する圧力団体と変貌した組合が多数現れています。本来の労働者の人権保護を大義名分としながらも、実質は、組合の権威の維持が主眼となっているように思います。(先進諸国の多くは、会社の経営者会議に組合役員が入り、経営状態によってリストラが必要と判断された場合、組合役員が、労働者をリストラする。)
 多くの外郭団体、事業団が作られ、目的も終えたにも拘わらず、今でも強い影響力を持つものもあります。道路公団、雇用促進事業団、日本水道協会を始め、数々の外郭団体は、本来の目的が達成された段階で解散すべきものです。しかし、許認可権や業者選定など厳然と力を有しています。
 また、反官半民企業が民民規制を行ない、公正な競争を阻害する環境を作り出している組織もあります。例えば、NTTの株主は50%が国であります。食料品関係の筆頭株主には多くを農林中金が保有しています。当時は必要な政策でしょうが、これでは適正な国と企業との 「もたれあい」 が起きて、企業間の公正な競争が行われないのではないのでしょうか。
 他にも戦後、興銀、長銀、日債銀などの国策銀行が、復興に向けて重要な機能を有していました。しかし、現在それぞれの各銀行は破綻し、膨大な負債を抱え込んでいます。この体質は民間の銀行においても同様で、政府と民間銀行との不健全な関係が不良債権を生み出す要因となったと考えられます。(現在、民間銀行のおいても、三井住友銀行を筆頭に体質改善にむけて努力しているところと、改善が進まない銀行との信用力に差が出始めた。)

 教育分野においては、教科書の許認可権を大阪同和教育研究所(現在も影響力がある)が持ち、日本国民に対し、特に戦後教育において、自虐的な歴史をプリンティングしていきました。現在、この教育が日教組により伝播され、日本国民の自衛意識を減退させ、結果的に対外的に相手国にとって有効な外交カードとなっています。

 さらに、これらの 「負の要素」 をマスコミがプッシュする形となりました。(マスコミは言論の自由という時代の潮流に乗り、多くのジャーナリスト、報道機関が 「ペンは剣より強し」 の考えを単純解釈し、ジャーナリズムで巨大な権力を倒すことに力点がおかれ、しだいに弱者の見方が絶対正義であるかのような、巨大な 「マスコミ文化」 を作り上げた)本来、公正性が求められる報道機関にあって、このような事態は誠に残念なことです。現在、マスコミの影響力は絶大です。日本は 「マスコミ本位制」 といっても過言ではないかもしれません。これら負の要素の影響を受け、現在の国民意識を作り上げてしまったのではないのでしょうか?

 また、話は前後しますが、戦後諸外国から鉱物資源、オイルを日本に運ぶ際も、当時の陸、海軍経験者がそれなりの立場で活躍しました。また、貴重な鉱物資源を民間に配分し、有効に活用していくためには、国家戦略を機軸に置いた優秀な人材が求められました。この役割を担ったのが当時の官僚です。当時は国策上、官僚に民間を調整させる権限を持たせる必要性があったのです。これらの方々の多大なる貢献が、日本の復興への人的資源だったことも忘れてはならないと思います。
 しかし、時代とともに民間が成長し、官僚しか持ち得なかったノウハウを民間が持ち始めたことにより、官僚は第二のステップ 「資本主義原則に則った、民間同士の公正な競争が行われる為の制度変更」 をする必要があったのです。しかし、許認可権を手放す機会を逃し、現在では、脇役のはずの官僚が厳然と政治までもコントロールする官僚主導型体制となっています。これは、官僚に非があるというより、人間の持つ 「業」 によるところと考えるべきでしょうか?

 官僚は今でも能力的に優秀なメンバーで構成されていますが、敗戦後時と現在では国際間での置かれている立場が異なっていることへの意識変革、システム変革が成されていないのは誠に残念です。確かに、戦後は外国の主要な要人が、世界的な見地から日本復興に向けて表裏一体でアシストしました。このため、官僚は国内の復興が使命でありました。しかし、今日経済的自立を成しえた時点で独立国として自覚し、次なる使命の元に移行しなくてはならなかったのです。それは、あらゆる国家が鎖国では成り立たない、いわゆる国家間が相互依存関係で成立していることへの自覚です。国内問題だけでは日本経済が成り立つことは不可能であり、少なくとも日本として、外国企業も含め、公正な競争が行われるように規制を緩和する内部変革意識。また開発途上国の経済成長を促進させ、経済的自立を促すための協力。(単にインフラ整備を主とした開発協力だけでなく、その国の通貨の信用を含めて) また、すでに大国である先進諸国に対し、国際経済レベルでの通貨安定のための日本側としての独自のビジョンを持つこと。の以上の3点の意識は最低限持ち合わせてなくてはなりません。ところが現在の制度では、こうした情報を精査し、継続的に基づいたプロジェクトを組める環境は、残念ながら日本では公共機関しかあり得ないといってもいいのです。(各日本の民間総合研究所では、運営資金の問題及び親会社の研究所への位置付け等で、公正な調査研究にならない、または研究が活かされにくいという問題がある)それだけに、官僚を志す人達の理念と倫理観が求められています。

 また現在、国内政治においても、殆どの政党が、集金メカニズムを軸に意思決定されています。また、政策立案においても、立案したプロジェクトを実行に移す際のコスト、発生するメリット、デメリットなど、充分な調査が成されないまま、選挙公約となって発表されていきます。アメリカのヘジテージ財団、イギリスの王立戦略研究所のような、スーパーリッチの寄付によるシンクタンクを政党が持ちえていないのです。したがって、最終的には官僚の情報がほとんどの施策に影響を与える結果となっています。政治家は、選挙を有利に進めるために、財源もリスクも不十分な調査研究、いわゆる理想論レベルのまま、マスコミに登場し、独自論をアピールしています。国民世論を見方につけることに軸足が置かれてしまっているように思えてなりません。

 また、官僚政治を批判する政治家もいますが、単に批判に終わらせないためには、官僚の情報、研究以上の調査研究があって初めて可能であります。また、持論の正当性を主張していくためには自らの所属している政党の自浄(批判)も必要です。しかし、これを行うと、所属政党からスポイルされるでしょう。(小泉内閣が持ちこたえているのは、国民世論の支持が背景にあり、「小泉首相を弾けば、自民党全体も弾ける。」 というロジックが抵抗勢力の意識の中にあるためと理解される)

 政治家として、「理想と現実を国家レベルで考えること」 はプロとして当たり前なのです。しかし、現在は国家レベルというより個人的な事情が優先順位となっている政治家が多いように思えます。公私混同は人間である以上、少なからず持ちえるものです。しかし、最終判断を 「公」 優先に出来る人がプロの政治家といえると考えます。この価値観を持つ政治家を国民がサポートしていかなくてはなりません。

 これらの国の制度疲労、国民意識の欠如は、地方公共団体の意識、運営にも現れています。例えば合併問題にしても、総務省は 「地方分権により、地方公共団体を自立させる。そのためには合併しなさい」 という方向性と指針に対し、多くの地方公共団体側は、「財源なくては何も出来ない」と返答しています。どちらの言い分も理解できますが、肝心なことが抜け落ちているように思います。自立というのは、社会的責任が発生するという国民意識です。自治体としては。自分達の自治体さえよければいい、という考えの上に、少なくとも国益のために協力する義務が発生するのです。道路一つとっても、「整備した先は行き止まり」 から 「日本の経済効果を考えた場合の道路を最優先課題にする」 「騒音や住環境悪化が懸念されても、国家戦略のために協力していく」 と言った意識と姿勢が求められるのです。

 また、一方で地方自治体のオリジナリティーを確保するためには、税源が「国」では、それこそ 「国土の均衡ある発展」 が優先され、地方の保有する文化、自然といったオリジナリティーを活かすコーディネートは出来にくいと考えられます。従って、自治体の自立を促すなら、独り立ちできるように、自らの権益を手放すことが必要です。総務省というより、国全体が個人も含め自らの権益を手放し、国益と地方の自立のために、各地方に 「連邦準備銀行を設置する」 などのために働きかけなくてはならないでしょう。(北海道・東北、関東・東京、上越中部、関西、四国・中部、九州・沖縄、の7箇所程度の連邦銀行が考えられる)

 福祉や、環境問題にも、制度疲労が見られます。社会変化に対しての意識改革がかなり遅れれているように思えます。充実した福祉も、良好な環境保全も、資金があって初めて可能となるのです。従って資金を生み出すのは経済です。この経済問題が最重要課題となることに対し、充分な認識が成されていないようにも思います。例えば、政治家は選挙時になると、必ずといってよいほど福祉・環境問題を取り上げます。確かに、福祉・環境問題は大切な課題ではあります。しかし、政治家として私は特に福祉など、本来、国が主導権を握って行うべきものなのか疑問をもっています。福祉を行政に期待すればするほど、社会主義システムになるからです。
 先進諸外国では、福祉、環境などで活躍しているNPO団体に対し、民間からの寄付が集まりやすいシステムになっています。根幹の税制度が違うのです。欧米の多くは社会活動を支える団体への寄付は必要経費となっています。(例えば、日本では主婦がパートで働いている場合、扶養から外れないように103万円以内で働くケースが多いが、仮に120万円分働いても、その内17万円を寄付すれば、扶養から外れない、と考えてください) この制度では、たとえNPOといっても、多くの寄付を集めようと思ったら、NPO同士に競争が興ります。利用者への質の向上が収益性に大きく影響するのです。それと同時に、その地域事情に即応したサービスが、行政の手ではなく、民間の手によって行われます。この制度により、福祉、環境の多肢にわたって民間主導で行われるので、行政が福祉・環境の充実を政策目標にするよりも、どうすれば民間が潤うかを考えることになるのです。なぜならば、福祉も環境も、民間の潤沢資金によって成り立つからなのです。

 他にも、司法制度、医療制度、税制度を始め、改革が急がれるみのが山積しています。
それら、すべてを改革していかなくてはならないのです。しかし、誤解しないで頂きたい。完璧なシステムなどありえないのです。従って、「国益を最優先し(日本の国さえ良ければいいという考え方でなく)、時代の変化、緊急事態に即応する。」という意識を持つことが前提であり、そのためのシステム創りだして行ける人物がそのポジショニングにつけるようにしなくてはならないのです。その人物に求められるのは、肩書きではなく、人間としての倫理観と哲学を持った中身のある人です。私達日本人は肩書きに相当影響されているように思います。自分の肩書を外し、自分の考えを主張していくという意識を個々が取り戻していかなくてはなりません。

 私がこのような論文を公表したのは、議員や行政に期待し任せるような、お任せ民主主義は、結果として社会主義システムになり、制度疲労になりやすいことを理解して頂きたいと願うからなのです。それを回避するためには、「誰かが何かをしてくれる」 という依存型の発想から、私達が 「国の未来のために何が出来るか?」 を考えなくてはならないと思うからです。私達には権利の主張と引き換えに、義務と責任があることを、深く自覚しなければならないのです。なぜならば、すべての住民が暮らしやすい町づくりは、理想ではあるが、実現はありえないからです。

 私は一地方議員に過ぎません。しかし、私は日本国民の一人です。地方議員という立場で国益のために貢献したいと考えています。私のやるべき仕事は、時代に即応し、かつ、国際社会の中で柔軟に対応できるようなシステム改革です。国益を最優先とした事業が行われるように提言し、実現させたいと考えます。また、民間経済が適正に成長できるように、事業者・個人を含め、可能な限り等しく 「公正」 にチャンスを提供できるよう、努力していきたいと考えます。そのことが、瑞穂町のためにもなると確信しています。

 これらの調査や研究の出発点は、瑞穂町を良くしたいという思いからでした。しかし、国や都の制度を調べ、国の内外を始め、調査を進めれば進めるほど、瑞穂町が単独で未来永劫発展することなど、不可能だという現実に突き当たりました。皆さん、今の日本の現状に対し、どのように感じていますか?皆様のご意見ご感想をお寄せいただければ幸いです。
瑞穂町議会議員 森 亘

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